現在、日本の医療現場は人手不足や医療費の高騰、医療格差などさまざまな課題を抱えています。それらの問題の解決手段として注目されているのが、医療現場のDX化です。本記事では医療現場の課題と、DXがどのように解決に役立つのかを解説します。また、実際に現場でDXを取り入れた事例もいくつか紹介します。
日本の医療業界における課題とは?
医療従事者の不足
日本の医療業界が抱える深刻な問題のひとつに、医者や看護師といった医療従事者の人材不足が挙げられます。人材不足とはいえ、実情として医師や看護師の総数が減っているわけではありません。「令和2年医師需給推計の結果」によると、人口10万対医師数の年次推移は1982年から2020年まで、年々増加していることが分かります。
(参考:「令和2年医師需給推計の結果」)
同じく、公益社団法人日本看護協会の統計資料でも、2010年から2019年までの看護師・准看護師の総数は、わずかな減少が見られる年もありますが、基本的には増加傾向です。
(参考:公益社団法人日本看護協会「看護統計資料」)
にもかかわらず、医療現場では人手が足りないと感じているところが多いようです。それは2023年4月に厚生労働省が発表した「一般職業紹介状況(職業安定業務統計)」にも表れています。同年3月時点の有効求人倍率は、全職業の1.22に対し「医師、薬剤師等」が2.17、「保健師、助産師等」が2.16、「医療技術者」が3.14と、医療現場の需要に対し人材の供給が足りていないことが分かります。
(参考:厚生労働省「一般職業紹介状況(職業安定業務統計)」)
この背景には、高齢化により医療ニーズが高まり続けていることが挙げられます。加えて、もとより夜勤や緊急対応で不規則な上、新型コロナウィルス感染対策で業務の負担が増えたことで、「医療従事者はハードな仕事」という印象がより強くなっているのも、人材不足に拍車をかけています。
また現場に余裕がなく、人材を育てられる人手が不足しているのも深刻な問題です。
医療費の高騰と財政的な持続性の問題
高齢社会が急激に進む昨今、医療費は年々増加傾向にあります。厚生労働省が発表した「令和3年度 医療費の動向」によると、2021年度の医療費は44.2兆円で、前年度に比べ2兆円も増加しています。伸び率は4.6%増にあたり、これは前年の-3.1%(1.4兆円減)に対して大幅な上昇です。(参考:厚生労働省「令和3年度 医療費の動向」)
高騰の理由としては、医療技術が進歩し、CTスキャンやMRIなど高額な検査機械が導入されるようになったことや、高齢化で長期にわたって持病などで通院する人が多くなったことが挙げられます。
現在、国民健康保険により、所得の少ない後期高齢者は、医療費の自己負担額が1~2割程度に抑えられています。また、医療費が高額になった場合は高額療養費制度も適用されます。
しかし今後、さらに医療費が増加すると、少子化で健康保険加入者は減る一方、支出は増え続けるため、現状の自己負担割合を維持できなくなる可能性があります。現役世代の負担が増えすぎないためにも、医療費の問題をどう解決していくかは大きな課題です。
日本国内における医療格差
現在、日本国内では医療格差が進んでいます。医療格差は地域格差と経済格差の2つに分けられます。まず地域格差について、これを計る有効な指標と考えられているのが、人口10万人あたりの医師数に、医療ニーズや人口構成の変化、地理的条件などの要素を加味した「医師偏在指標」です。
第23回兵庫県医療審議会地域医療対策部会で発表された「医師偏在指標データ(産科・小児科・外来含む)」によると、最も数値が高いのは東京都の324.0で、次に京都府の313.8、福岡県の299.7と続きます。一方、最も低いのが新潟県の171.9、次が岩手県の172.4、青森県の172.9と続き、地方より都市部の方が医療が充実している傾向にあることが分かります。
(参考:第23回兵庫県医療審議会地域医療対策部会「医師偏在指標データ(産科・小児科・外来含む)」)
一方、経済格差も医療格差に影響します。現在は治療法の選択肢が増えており、経済的余裕があれば高額な費用がかかる治療も受けられます。また、検診でも自己負担で精密な検査を受けられるため、病気を早期に発見できる可能性が高いでしょう。
日本はこれまで国民皆保険で分け隔てなく高度な医療を享受できていましたが、今後さらに医療費の自己負担が増えるようになれば、多少体調が悪くても病院の受診を控える人が増える可能性もあります。
医療現場でのDXの遅れとセキュリティの問題
DXは医療現場での生産性向上やコスト削減に貢献する可能性があります。しかし、大きな病院ではDXが進みつつあるものの、中規模以下の医療施設ではさほど普及していないのが現状です。厚生労働省が2020年に行った「医療施設調査」の「電子カルテシステム等の普及状況の推移」によると、400床以上の大規模病院では電子カルテの普及率が91.2%だったのに対し、200床未満の病院ではわずか48.8%にすぎませんでした。また一般診療所の普及率も49.9%で、全体の半分にも至りません。
(参考:厚生労働省「医療施設調査」)
中規模以下の医療施設でDX化が進まない原因としては、予算不足やIT人材の不足が挙げられます。また病歴などの重要な個人情報を扱うため、強固なセキュリティ対策を講じる必要があることも、導入のハードルを高くする要因です。
医療業界の課題解決にデジタル化が推進される理由
先に述べたような課題を解決するためには、デジタル化が大きな役割を果たす可能性があります。では、デジタル化はどのように課題の解決に貢献するのでしょうか。以下に詳しく解説します。ITテクノロジーの活用により遠隔医療を普及できる
医療業界のデジタル化を進めることでまず期待できるのは、遠隔医療の普及です。遠隔医療とは、オンラインで医師と患者をつなぎ診察を行うことを指します。オンラインなら通院の負担がないので、足腰が悪い高齢者でも自宅で診察が受けられます。大病院の少ない過疎地に住んでいても、遠方の病院にオンラインでつなぐことで専門医の診察を受けられるので、医療の地域格差の是正に役立ちます。
また、待ち時間や通院時間を気にせず受診できるため、忙しい人が定期的な治療を受けやすくなります。さらに、新型コロナウィルスやインフルエンザなどの感染症が流行した際には、医師やほかの患者との接触を避けて診察を行えるため、感染拡大防止の面でも利点があります。
医療従事者の負担軽減や生産性の向上につながる
現在、医療現場では電子カルテや予約システムの導入が進みつつあります。デジタル化がさらに進めば、医療現場で働く人の作業負担が減り、生産性の向上につながるでしょう。たとえば電子カルテを導入すれば、名前や診察券番号などで検索できるようになるので、患者が来院するごとに紙面のカルテを探し、管理する手間が省けます。カルテをデータで蓄積できるのでかさばらず、紛失のリスクが少ないのもメリットです。
また、Web予約する人が増えれば、電話対応するスタッフの負担を減らし、人的コストの削減にもつなげられます。患者側も電話の受付時間に関係なくWebから予約できるため、利便性が高まります。
個人の健康増進がかない、医療費の削減につながる
2022年5月に自由民主党政務調査会は、今後の医療DXの進め方についてまとめた「医療DX令和ビジョン 2030」を提言しました。その中には、検診や電子処方箋、電子カルテなどのデータを、クラウドを通じて共有・交換できる「全国医療情報プラットフォーム」の将来的な創設が盛り込まれています。(参考:厚生労働省「医療DXについて」)
これが実現すれば、マイナンバーで受診した患者の健康情報を医師や薬剤師間で共有できるため、効果的な病気予防対策や健康増進策を提案し、受診歴や薬の履歴からより良い医療を提供することが可能になります。
また、マイナポータルを通じて本人が自身の健康状態を一元的に把握できるため、患者の自己管理にも役立ちます。データを活用して個々の健康増進が実現し、病院を受診する機会が減れば、医療費の削減にもつながります。
クラウド化によってBCP強化やデータ損失の防止につながる
近年、地震や台風など災害が増えており、病院が被災した際のBCP(事業継続計画)強化が重視されています。紙のカルテや病院内のサーバーだけにデータを保存していると、病院が被害に遭った時に患者の病歴や薬の服用歴といった重要な個人情報が紛失するリスクが高くなります。一方、クラウドに保存しておけば紛失のリスクを大幅に減らせます。クラウド化された予約システムや電子カルテは、たとえ病院でシステムに被害が出た場合でも復旧しやすく、災害時に高まる医療ニーズに対し、診療体制を整えやすいのがメリットです。
医療現場でDXを進めていくためには
医療現場で効果的にDXを進めるためには、まず現場の課題を的確に把握し、DXの目的を明確にする必要があります。現場のスタッフにヒアリングを行い、先に解決すべきことは何か、課題に優先順位を付けることも大切です。その上で予算や操作性、クラウドかオンプレミスかなども考慮しながら、課題に適したITツールを選びましょう。ITツールの導入にあたっては、中小企業、小規模事業者であれば「IT導入補助金」を活用できます。対象となるソフトウェアは限定されており、申請時は審査もありますが、補助金が下りれば大幅に導入コストを削減できる可能性があります。
また、ITツールを運用するには、専門知識を持った人材も必要です。ITツールの導入とともに、デジタル人材の採用や育成も同時に進めていかなければなりません。さらに医療現場では電子カルテなど重要な個人情報を扱うため、充分なセキュリティ対策を講じることも大切です。
【デジタルの活用】医療課題の解決に向けた取り組み事例
現在、医療現場では課題解決のため、すでにさまざまなデジタルツールが導入されています。ここからは各現場での具体的な取り組みの事例を紹介します。医療従事者の教育を支援するシステム
近年、医療現場では医療従事者の教育にVRが取り入れられる事例が増えています。VRとは仮想現実の映像が流れるゴーグルを装着することで、さまざまな疑似体験ができる技術のことです。VRは手術の訓練やシミュレーションなどに活用されており、実際の手術の現場に立ち合わずとも臨場感のある訓練が行えます。従来はベテランの指導者が付き、時間をかけて技術を継承してきましたが、人手不足で教育に人員を割く余裕がない現場も少なくありません。そうした教育人材不足を解決する手段として、VRは有効とされます。
文部科学省は「平成30年文部科学白書」において、教科指導でのICT(情報通信技術)をはじめとしてAIやビッグデータ、IoTなど先端技術の活用を推進しています。教育や指導の現場においてデジタルが果たす役割は、今後さらに大きくなると考えられます。
(参考:文部科学省「平成30年文部科学白書」)
地方の医療体制を支援するシステム
ネットワークやデジタル技術を活用すれば、医師がその場にいなくても遠隔地から診察や指導が可能です。たとえば、北海道ではICTを活用した遠隔テレビカンファレンスシステムの導入補助を行うことで遠隔医療を推進しています。
このシステムを通じて、地方の医師に対し都市部の専門医が指導や助言を行うことで、専門医が不足する地域格差の改善が期待されます。
さらに国内では、すでに遠隔地にいる専門医が現場の映像を共有し、手術支援を行う実証実験も行われています。このようにDXが進むことで、医療の地域格差が減少し、どこに住んでいても高度な医療を享受できようになるでしょう。
医療と介護の連携システム
高齢社会の昨今、地域包括ケアシステムを実現するには、医療と介護の連携が重要です。そのため現在、日本各地で地域の病院や介護施設、薬局などがネットワークを通じて連携できる仕組みづくりが進められています。茨城県取手市・守谷市・利根町が実施している「いきいきiネット」もそうした取り組みのひとつです。これは「電子@連絡帳システム」を活用し、医療従事者や介護事業者、行政や訪問看護者が利用者の情報を共有できるシステムで、多職種が連携することで質の高い安定した医療や介護サービスを提供します。
在宅での介護を選んだ利用者や家族が安心してサービスを継続できるよう、今後このようなシステムの構築はより推進されていくでしょう。
まとめ
DXは現在の日本の医療現場が抱えるさまざまな課題を解決できる可能性があります。ネットワークを使えば、患者と医療従事者を距離に関係なくつなげられるので医療格差を是正でき、予約システムなどの導入による効率化は人材不足解消に役立ちます。中小規模の医療現場ではまだDXが進んでいないところも多い状況ですが、さまざまな課題の解決のためには、早期のDX導入が求められます。