畜産業とIT技術を組み合わせた新たな取り組みが「スマート畜産」です。農業分野におけるIT化の遅れが指摘される中、Society5.0の提唱や畜産クラスター計画の発表により、畜産業界におけるデジタル化が注目されるようになりました。スマート畜産の導入は様々なメリットがありますが、一方で課題も伴います。この記事では、スマート畜産の意義、その導入がもたらすメリットや取り組み事例、そして抱える課題について、詳しくご紹介します。
スマート畜産とは畜産業とITを組み合わせた新たな取り組み
スマート畜産とは、畜産業のさらなる生産性向上と持続可能な経営を目指すための最先端の取り組みです。近年では、IT技術を活用して、搾乳や環境制御、ふん尿処理、餌やりといった作業の自動化が進んでいます。また、センサーやAIを活用した動物の健康状態のリアルタイム監視や、飼料給与量の最適化による栄養管理なども可能になってきています。こうした効率化は、より良い生産環境を実現し、生産性を向上させるために不可欠です。
畜産業界のデジタル化が注目される理由
スマート畜産が注目される背景には、2016年に「第5期科学技術基本計画」が閣議決定されたことがあります。この計画では、Society5.0と呼ばれる概念が提唱されました。Society5.0とは、人間中心の社会を目指し、AIやロボット、IoTなどの先進技術を用いて社会全体を最適化する概念です。ITの導入が遅れている農業・畜産分野においても、このコンセプトを追い風にデジタル化が進むことになりました。
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また、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の影響もあります。厳しい競争環境にさらされる国内畜産業界の状況を踏まえて、政府は「畜産クラスター計画」を発表しました。畜産クラスターとは、地域の関連事業者が連携し、生産性の向上と競争力の強化を実現するための体制です。この計画に基づき、畜産業界のIT化に補助金が付くようになったことも、スマート畜産へ注目が集まる背景です。
畜産業界の現状と抱える課題
スマート畜産の推進は、畜産業界が直面する多くの課題を解決する鍵となります。畜産業界が抱えている課題について具体的に解説します。
高騰を続ける生産コスト
畜産業には、動物の飼育施設や餌の保存設備、搾乳機など、さまざまな設備が必要となります。しかしこれらの設備は高価であり、導入した後も維持管理費が発生します。こうした設備投資は、特に中小規模の農家にとっては大きな負担となっています。
また、飼料の価格も大きな課題です。ロシアとウクライナの紛争により、飼料の主要な供給源であるウクライナ産の穀物の価格が急騰しました。その結果、餌代が高騰し、それが生産コストの上昇を引き起こしています。
飼育者の高齢化による労働力不足
畜産業の大きな課題のひとつに、労働力の不足が挙げられます。これは主に、飼育者の高齢化によるものです。牛や豚などの大型の家畜を飼育する場合、動物の移動や清掃作業など、日々の業務は非常に体力を使います。これらの作業を続けることは、高齢の飼育者にとっては大きな負担となります。その結果、畜産経営に必要な労働力が不足し、継続的な経営が難しくなっています。少子化や、都市部への若年層流入の流れに歯止めがきかず、新たな労働力を確保することも容易ではありません。
過酷な労働環境
畜産業のもうひとつの大きな課題は、過酷な労働環境です。特に酪農業務従事者の年間労働時間は2000時間を超えています。
畜産業では、動物の健康状態や繁殖、飼料管理など、24時間365日の管理が必要です。繁忙期はもちろん、オフシーズンでも休むことなく作業を続ける必要があります。また、気象条件や家畜の体調など、予測不能な要素に対応する柔軟性も求められ、それが精神的な負担にもつながっています。
スマート畜産の導入がもたらすメリット
スマート畜産の導入により、作業負担の軽減、生産性の向上、そして消費者の信頼性向上の3つの大きなメリットが期待できます。
まず、作業負担の軽減です。スマート畜産では、搾乳や餌やりといった従来人が行っていた作業を機械が自動で行います。これにより、畜産従事者の物理的な労働時間が大幅に削減され、労働環境の改善につながります。また、夜間の作業や急なトラブル対応など、人の手には負担の大きい作業も自動化が可能になります。
次に、生産性の向上です。自動化により得られる時間を利用して、より適切な生産計画が立てられます。また、各家畜の健康状態や飼料の消費状況などをリアルタイムで把握し、個々の家畜に最適な飼育管理が可能になります。これにより、生産性を最大限に引き出せます。
そして、消費者の信頼性向上です。スマート畜産では、家畜の生体データをデジタル化し、蓄積・管理します。これにより、畜産物の安全性と品質を証明する情報が一元化され、消費者に対して透明性を保てます。これは、食品の安心・安全に対する消費者のニーズが高まる現代において、大きな価値を持ちます。
このように、スマート畜産は、データを活用することによって、労働負担の軽減、生産性向上、消費者からの信頼の獲得というメリットをもたらします。そのためには、センサー等を利用して、適切にデータを収集していくことが非常に重要です。
スマート畜産の5つの分類
スマート畜産は、大きく5つのカテゴリーに分類されます。それぞれについて詳しく解説します。
センシング・モニタリング
まずは「センシング・モニタリング」です。体表温度や心拍数、活動量などを測定するウェアラブルデバイスや、環境データを測定するセンサーを用いて、家畜の繁殖機能や健康状態、飼育環境などの情報をリアルタイムで収集・分析します。
このデータはクラウド上に蓄積され、事業者がいつでもアクセスできるようになっており、家畜の健康管理や繁殖計画、病気の早期発見などに活用されます。たとえば、体表温度の上昇や活動量の低下などから病気の兆候を捉え、早期に対策を立てるなどの用途があげられます。また、これらの情報をもとに最適な飼育環境を整えることも可能です。
生体データ活用
次に「生体データ活用」です。これは、収集した各家畜の生体データをAI技術を活用して分析し、それを飼育管理に役立てるものです。
AIは大量のデータからパターンを学習し、予測や意思決定をサポートします。家畜一頭一頭の個体管理によって得られる詳細なデータを分析することにより、体調変化や発情期の予測、餌の消費量や成長率の計算など、より精緻な飼育管理が可能になります。
さらに、AIを活用することで、これまで人間が手動で行っていた作業の自動化も可能になります。データを解析することで餌の量や、搾乳のタイミングなどを自動的に調整し、畜産業の効率化に貢献します。これらの取り組みは、畜産業が抱える人手不足の問題の解決や、生産性向上にもつながります。
また、取得したデータをダッシュボード化することにより、予防接種時期の管理や分娩時期がくると予測される家畜の数などを可視化して管理できます。
飼育環境データの活用
飼育環境データの活用は、家畜の健康維持や生産性向上に大きく寄与します。
温度や湿度、照明、換気状況などのデータをセンシング・モニタリングし、それをもとに飼育環境を最適化することで、家畜のストレス軽減、成長促進、病気の予防に繋がります。また、データを活用することで省エネルギー化も可能になり、畜産経営の経済的な持続性にも寄与します。
自動運転・作業軽減
スマート畜産では、自動餌やり機や自動搾乳機のようなロボットを導入し、これまで人手で行っていた飼育作業を自動化することも可能になります。これにより、労働者の作業負担を軽減するだけでなく、作業の精度も向上します。
また、これらのロボットは一定のタイミングや条件で自動的に作業を行うため、家畜のストレスを軽減し、一貫した品質を保てます。さらに、高齢化や人手不足といった人的な課題にも対応できるため、今後の畜産業の発展を支える重要な要素となります。
経営データ管理
スマート畜産では、収集したデータを用いて、経営データを管理することも可能です。
生産量、販売数、経費など、経営に関わるさまざまなデータを収集・集計し、現状の分析や今後の経営計画作成に活用します。これらの情報は、生産性向上、コスト削減、品質管理、販売戦略など、経営全体を改善するための重要な指標となります。
スマート畜産を活用することで、従来は人の手で行っていた膨大なデータ管理を、一元化し自動化できるため、経営の効率化と精度向上につながります。
スマート畜産の取り組み事例5選
ここまで、スマート畜産の特徴とそれが畜産業界にもたらすメリットについて解説してきました。本章では、スマート畜産の具体的な取り組み事例をあげ、その効果と可能性を探ります。
クラウド管理システム
経営データ管理に欠かせないのが、クラウド管理システムです。これは経営管理システムの一種で、多種多様なデータを一元化して管理できます。
たとえば、ワクチンの接種情報や繁殖状況など、通常は各個体の管理が必要な情報も、このシステムを利用することで効率的に一元管理が可能です。スマートデバイスへのタッチ操作で、簡単にデータを記録し、分析できます。
行動監視支援システム
センシング・モニタリングの例としては、家畜の行動監視支援システムがあげられます。
このシステムでは、カメラセンサーを活用することで、家畜にタグなどを取り付けることなく、その行動を24時間監視が可能です。従来のタグを取り付ける方法では家畜への負担や、タグが外れるなどのリスクがありましたが、このシステムにではそうした懸念が解消できます。
収集したデータから、家畜の分娩予兆や発情の兆候、健康状態をモニタリングし、メール等で通知を受け取れるため、家畜監視の負担を軽減できます。
自動体重測定システム
カメラセンサーを活用した「自動体重測定システム」もスマート畜産の例のひとつです。
このシステムでは、赤外線3Dカメラセンサーを取り付けることで家畜の体重を24時間モニタリングできます。家畜の体重は、その健康状態や肥育状況を評価する上で重要な指標となるため、常に正確なデータが必要です。
従来の方法では家畜を一頭ずつ体重計に乗せるという大掛かりな作業が必要でした。それがこのシステムの導入により、家畜が自由に動き回っている中でも正確な体重測定が可能となり、作業負担が大幅に軽減できるようになります。また、家畜を動かすことなく測定が可能なので、測定ストレスによる増体の鈍化を防げます。
敷きわら自動散布システム
「敷きわら自動散布システム」は、自動運転・作業軽減分野のスマート畜産技術のひとつです。
このシステムは、毎日の敷料散布作業を自動化します。畜産業において、環境の清潔さは家畜の健康を維持する上で非常に重要な要素です。しかし、毎日の敷料散布作業は、肉体的な負担だけでなく時間的な負担も大きいものでした。
このシステムを導入することで、そうした負担を大幅に軽減できます。また、自動散布により敷料の量や散布の均一性を保てるので、敷料の無駄を削減できます。多種多様な敷料に対応しているため、汎用性が高いことも特徴です。生活環境を常に快適に保てるため、家畜の健康維持や生産効率向上にも寄与します。
畜産農家の生産性評価システム
畜産経営におけるデータ分析の重要性を象徴するのが「畜産農家の生産性評価システム」です。
これは毎月の出荷頭数や販売額など、経営に関わるさまざまな生産データを分析するシステムです。具体的な数値をもとに、どの部分が改善の余地があるのか、どこが生産性のボトルネックとなっているのかを、データを元に明確に理解できます。また、劣っている生産指標を改善することで、どの程度利益が改善するかもシミュレーションできます。
スマート畜産の課題
スマート畜産は、畜産業界の労働力不足や生産性向上、そして消費者への安心・安全の提供という面で多大なメリットをもたらします。しかし、その一方で、まだ解決すべき課題も存在します。そのひとつが、センサーや機材の多機種化とその影響です。
現状のスマート畜産では、それぞれのサービス専用のセンサーや機材が必要になります。たとえば、生体データを収集するためのウェアラブルデバイス、自動餌やり機や自動搾乳機、環境モニタリングのためのセンサーなど、多種多様な機器が存在します。それらを全て導入すると、扱うべき機材が多くなるため、管理が複雑化します。また、それぞれの機器のデータ形式や通信方法が異なる場合、データの一元管理や統合分析が難しくなるという課題もあります。体に取り付けるセンサーや機材が増えることで、家畜がストレスを感じてしまう可能性もあります。
そのため、非接触のセンサー技術やカメラによる画像認識技術の向上、互換性のある機器開発などが期待されています。
まとめ
畜産業界におけるデジタル化の重要性と、スマート畜産がもたらす可能性を詳しく解説しました。畜産業界は、生産コストの高騰や労働力不足、過酷な労働環境など、多くの課題を抱えています。しかし、スマート畜産の導入により、これらの問題を解決し、生産性の向上と消費者信頼性の獲得が期待されています。